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日仏高等学校ネットワーク(COLIBRI)の試練と挑戦

中野 茂(早稲田大学高等学院)

コロナ禍において、学校現場では多くの活動の停止あるいは縮小を余儀なくされた。とりわけ、その影響が最も顕著だったのが国際交流活動であった。コロナ感染症が日本で広がりを見せてから3年以上経つ今でも、多くの学校がまだ生徒の海外派遣に踏み切れていないのが現状である。日仏高等学校ネットワーク(COLIBRI)(以下「コリブリ」)が毎年実施していた対フランス本土および対ニューカレドニアの短期交換留学も、3年前より中断を余儀なくされた。

この3年間は空白の時間であると同時に、今までの活動を振り返る時間でもあった。またこの3年間は、実際にフランスに行き交流することの意義を再認識させてくれた期間でもあった。


2002年、当時の仏大使館文化部のフランス語担当官 Jean-Noël JUTTET 氏の発案により、暁星高校の橘木芳徳教諭(当時)、カリタス女子中学高等学校の山崎吉朗教諭(当時)を始めとするフランス語教育に携わる高校の先生方が中心となって設立準備が始まったコリブリは、2006年に最初の交換留学を実施した。以降現在まで14回にわたり交換留学が実施され、これまでに1000人を超える日仏の高校生がコリブリ短期交換留学に参加した。

現在の日本側コリブリ加盟校は、北は北海道の立命館慶祥中学校・高等学校から南は沖縄県立那覇国際高等学校まで30校、フランス側はパリ、ボルドー、モンペリエなどの本土の29校に加えニューカレドニアの6校、計35校にものぼり、両国の加盟校は年々増加している。また2013年には『ル・モンド』紙で取り上げられるなど、とりわけフランスでは知名度を上げている。

応募した日仏の生徒たちをマッチングし、そのパートナー同士の家庭におたがい3週間ずつ滞在する短期交換留学(まずフランスの生徒が10月から11月にかけて日本のパートナーの家庭に滞在し、高校に通う。翌年の3月から4月にかけ、今度は日本の生徒がフランスのパートナーの家庭に滞在し、現地の高校に通う)を活動の中心にする点は、発足時から今日まで変わっていない。

コロナ禍以前は、参加者が3週間のフランス短期留学で負担する費用は、航空券などの旅費、フランス国内での通学費、保険、現地でのおこづかいを合わせ、約25~30万円に抑えられてきた。このように参加費を抑えることができた主な理由は、学費がかからないことと、現地での食費や住居費など生活に必要な経費を受け入れ家庭が負担する点にあった。


さて、第一回交換留学の開始から16年の年月が流れたが、この年月はコリブリにとって試練の16年だったと言っても過言ではない。

まず2009年、新型インフルエンザの感染拡大を懸念するフランス国民教育省の勧告もあり、秋のフランス人高校生の来日を1年間延期せざるを得なかった。

そして、日本の高校生たちの出発予定日の2日前に発生した2011年の東日本大震災。首都圏の交通網が麻痺した状況下でも、関東圏の生徒たちはなんとか全員予定通り出発。安否の確認がとれた盛岡・仙台の生徒たちも、自分たちの目で見たものを直接伝えたいという強い思いを持って、また保護者の方々の深い理解もあり、全員がフランスに旅立った。その後、福島原発の事故処理の影響もあり、2011年度はフランス側の来日は1年間延期、日本側は通常渡仏という変則的なスケジュールで交換留学の実施にこぎつけることができた。

さらには、2019年に始まったコロナウイルス感染症のパンデミックによる3年間の短期交換留学の中断。この間、どのような活動ができるのかフランス側執行部と協議を行い、日仏オンライン交流、コリブリ・フランスとの共同動画作成、またコリブリ・フランスが開催したジャパン・ボウルへの動画での参加といった活動を実施することができた。とはいえ、短期交換留学の中止が教育現場にさまざまな影響を及ぼしたことは否めなかった。とりわけ短期留学を夢見て高校に入学した生徒にとってこの中断の影響は深刻で、フランス語学習に対するモチベーションの低下が指摘された学校や、フランス語受講者の減少が見られた学校もあった。


2019年度の春休みのフランス派遣が中止になって以降、どのタイミングで交換留学の再開に踏み切るかコリブリ・フランスと協議を続け、再開のタイミングを探ってきた。そしてついに、2022年度のフランス派遣から短期留学が再開されることになった。

2023年3月11日、29名の高校生が成田空港よりフランスに向けて旅立った。コリブリの短期留学が復活した日である。フランス各地から送られてきた写真に写った生徒の表情を見ると、すでに教室での彼らの表情とは異なっており、フランスに行くことの意義を痛感せざるを得なかった。実は今までも、短期留学に出発する前と後で、生徒の表情の変貌に驚くことがよくあった。この表情の変化の裏には、彼らの体験が凝縮されており、この体験が、その後の彼らの人生を導く原動力になっていくケースをしばしば目にしてきた。もちろん、内なる変貌が外見に現れないケースもあるため、体験の豊かさやその深さ、さらには影響の射程を真に理解するには、その後の彼らの言動、さらには彼らの進路や大学進学後の姿も注意深く見守って行かなくてはならない。教室の中でのみフランス語を学習している生徒においては、ともすると「なぜフランス語を学ぶのか」という疑問を抱くこともある。しかしながら、コリブリ短期交換留学参加者においては「なぜフランス語を学ぶのか」という疑問が生じ得ないのは言うまでもない。さらにこの自明性は、参加者だけでなく、その友人たちや帰国報告会に参加した生徒にまで広がり、フランス語やフランス文化を学ぶ確固たる理由を提供している。

空港で生徒たちの表情の変貌に出会う度に、またコリブリ短期留学を機にその後の人生を設計した生徒たちと出会う度に、今までの苦労が報われた気がする。同時に、20年前のコリブリの旗揚げにかかわった先生方、またその後コリブリを育ててくださった先生方が目指していたことに少しでも近づけた気がする。

コリブリに参加した大部分の生徒は、すでに社会人となった。彼らの人生に何等かの影響を与えてきたことを誇りに思うと同時に、彼らが、コリブリ設立の趣旨である「日仏の架け橋」になってくれることを切に願っている。

最後になるが、コリブリが活動を継続できるのは、ボランティアで活動してくださっている各校の先生方の熱意、さらにはフランス大使館の全面的な支援や、APEFを始めとする協力団体のご支援の賜物である。深く感謝の意を表する。