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おパリなシテデザール生活の回憶

齊藤 一也(ピアニスト)

2011年9月。パリCDG空港に降り立ち、フルサイズのスーツケース2個と大きなリュックを抱え、右も左もろくに分からぬ状態でありながらRER B線とピンクのメトロ7番線を乗り継ぎ、Pont Marieの駅に辿り着きました。Pont Marieの駅にはエレベーターがなく、長距離フライトで疲れた体と緊張の頭でフラフラになりながらも、その大荷物を地上まで運び上げた時の達成感たるや、日本ではなかなか味わえない感覚です。

シテデザールに到着したのは深夜だったためアクイユには誰もおらず、不安の隠せないままに蚊の鳴くような声でインターホン越しから「ジュ…ジュマペールカズヤ」と言うと、奥からガタイの良いおじさんが出てきて、眠そうな目を擦りながら部屋まで案内してくれました。少ない会話ながら現地のフランス人とフランス語での会話はほぼ初めてでしたし、果たしてどのような部屋なのかと不安と緊張が止まりませんでしたが、案内された部屋に入ると、想像していた以上に息を呑むほど素晴らしい光景が飛び込んできました。そして、その衝撃と共にとある記憶が蘇ります。

…2005年、高校1年生のときに、僕のピアノの師匠である秦はるひ先生がご主催されたパリでのピアノ講習会に参加するために人生で初めてパリを訪れました。春なのに空はとても暗く、様々な人種の方々が行き交い、まるでリアル映画の世界。グルグル回るやたらいい匂いのする肉の塊(ケバブ)や、メトロに乗ってきては突然陽気な音楽を奏でるミュージシャンたち。理解できない言葉の数々や、日本ではあまり聞かないノキアの着信音。ゴミや落書きにまみれた路地や、路上にはなぜか便器が捨てられていたりと、自分の知る“花の都パリ”のイメージとはだいぶかけ離れたものでした。久しぶりに晴れた日にチュイルリー公園を散歩していると黒人のお兄さんたちがやってきて、なにやら手首にカラフルな紐(ミサンガ)をかけられ、プレゼントなのかと思いきや、財布からお金をスラれたこともありました(この時たまたまユーロ札を持っていなくて、なぜか財布に入っていたのは千円札が1枚だけ。「これは日本の1000ユーロだ」と言うと、彼らは喜んで持っていきましたが…)。

そんなパリのあれこれに疲弊しつつ、少しはパリの雰囲気にゆったり浸りながら練習にも集中したいと思っていた時でした。受講生が空き時間に練習するために、ピアノが弾けるお部屋を現地の留学生にお借りしていたのですが、その時訪れたひとつのお部屋に衝撃を受けたのです。セーヌ側が真横を流れ、窓から大きなノートルダム寺院が見え、まさにこれぞ「ザ・パリ」といった場所で、こんな環境に身を置いて勉強できたらどれだけ幸せな毎日だろうと、妄想を重ねました(景色に見惚れ、逆に練習に気が入らないまま、その後のレッスンではボロボロだった記憶もあります)…。

6年前にその衝撃を受けた場所こそが、今自分がパリ暮らしを始めようとしているシテデザールでした。朝起きて、カーテンを開けるとその景色の素晴らしさに改めて圧倒されました。ここぞパリと言わんばかりの歴史的建造物が丸々目視できる南向きの5階の一番景色の良い部屋で、目の前にはサン=ルイ島(ピアノを弾く身からすればサン=ルイ島はショパンゆかりのランベール館があるところで、ショパンが近所を往来していたと考えるだけで胸がときめきます)やシテ島のノートルダム寺院やコンシェルジュリー、遠くにはパンテオンやエッフェル塔も見えます。さらに、最上階である5階にだけはバルコンがあり、自由に外に出ることができます。早速、最寄りにあったサン=ルイ島のブーランジュリーでクロワッサンを調達し、コーヒーを沸かし、そのバター香るクロワッサンをカフェとパリの新鮮な空気と共に味わう、パリ生活初日の朝のシテデザールでの贅沢なひとときの思い出です。

このシテデザールの景色の良さは、フランス人にも定評があり、パリ音楽院の寮としても何部屋か確保されているものの、常に満室という人気ぶり。北向きと南向きの部屋があるのですが、北向きの部屋はあまり景色がよくないのに対して、南向きの部屋は先述のような景色ゆえに圧倒的人気で、北側に住む友達がうちに来た際は « Je t’envie !! » と口々に嫉妬していました。僕のパリ時代の師匠であるミシェル・ダルベルト先生もレッスンの時、「一也の住むシテデザールはとても好環境だと聞いたんだがね、次の試験終わりの門下フェットを、綺麗な夜景を見ながら一也の部屋でやらないか?」と提案され、まだ出来るかどうか分からないのに、先生がワインの瓶を沢山抱えてシテデザールに内見に来たことがありました。 ダルベルト先生は景色は勿論、タバコや葉巻が吸えるからかバルコンがあることをとても気に入られていました(フェットに集まる人数を鑑みると、少し部屋が狭いと断念せざるを得ず、実現には至りませんでしたが、実際隣室のフランス人たちも頻繁にフェットをしていましたし、酔っ払ってバルコンを裸足でトボトボ歩いている姿もよく目にしました)。

僕は何よりもこのシテデザールの窓から臨むパリの表情豊かな空が好きでした。特に夕焼けの美しさは筆舌に尽くし難く、日によって季節によって、まるで違う表情をありありと見せてくれるのです。この空を見ながら、フォーレやラヴェルの描いたモノトーンな色彩の世界感や、ショパンやリストの芸術の源である繊細なノスタルジーを毎日のように感じ得ては、ピアノの演奏に反映させることを大切にしてきました。

そもそもパリでピアノを弾ける物件を探すことは、そうそう容易ではありません。なんせ、日本のように防音加工を施した音楽マンションもなく、通常であれば、まずはその家探し(しかも楽器を弾けるという条件)に苦労するところから始まるのです。やむなく普通のアパルトマンに暮らしていても、みんな音の苦情のトラブルには散々苦労させられると耳にしていました。そんな中、シテデザールという芸術家のためのオアシスのような住居があると、僕にフランス語をご教授くださった稲葉延子先生にご紹介をいただき、幸運なことに入居の運びとなったこと、どれだけ幸先の良いことだったでしょう(…もしかしたら読者の皆様の中にはピアノを弾くなんて、なんてロマンティックだろうとか、ピアノの音が聞こえてくるくらいであれば多少の我慢はできると思われる方もいらっしゃるでしょう。音大生やピアニストの練習を聞くとその感覚は覆ります。実際には、5〜6時間ひたすら音階の反復練習をしたり、良い和音を鳴らすための練習として何度も何度もフルパワーでピアノを鳴らしたりと、かなり聴いている側からするとストレスが溜まります。ピアニストである自分でさえも、他人の練習をずっと耳にしていると、イライラすることも多々あるくらいです…)。実際、入居中はどれだけ練習しても苦情等のトラブルには一切巻き込まれず、ピアノを自由に弾けることが保証されている環境に心から安心して生活を送ることができました。

入居当初はピアノがまだ部屋に置いてありませんでした。ピアニストとしてピアノ抜きの生活は練習が出来ない上、精神的な不安も常に付きまといます。しかし、シテデザールにはなんと地下に練習室があり、その練習室を破格の値段で借りることができるのです。そこで、最初の1〜2週間は練習問題を凌ぐことができました。やがて、学校から無料でピアノを借りられることとなり、自分の部屋にもついにピアノを置くことができ、そこからはまるで天国のような生活です。家賃もすこぶる安く(僕の住んでた時期は月々395ユーロくらい、光熱費は無料)、この条件でこの環境は、パリでは通常あり得ません。生活必需品も、必要最低限の家具や食器などは揃っていたので、すぐに生活の基盤はできました。1口しかない電気コンロだけは古くポンコツで、毎回鍋のお湯を沸かすのに15分くらいはかかるような代物でしたが、電気ケトルを買ってからはその問題もすぐに解消されました。

2年間のシテデザール生活でしたが、パリ留学生活の原点となった大変思い出深い大切な場所です。素晴らしいアーティストである隣人たちに囲まれ、同じ学校の音楽友達(その中には2015年のショパンコンクールで見事優勝したチョ・ソンジン君もいました)にも色々と助けられたり、お互いの練習に刺激を受けながら過ごせた環境はとても恵まれていたと思います。また、美術の人たちは、自分の住んでいる部屋をアトリエとして自由に公開していたりして、音楽家以外の芸術仲間を増やすこともできますし、様々な観点からお互い芸術についての理解を深め合えることができるのは大きなメリットだと思います。また、地下でも定期的に展覧会が催されており、住人以外でも自由に観覧することができるほか、Auditoriumではコンサートも開催されており、音楽家たちは有志で演奏する事ができます。 「国際芸術都市」ならではのコンセプトを、ここまで具現化できていることは本当に素晴らしいことだと思いました。 『ゲンズブールと女たち(2010)』 というフランス映画の中の描写で知ったのですが、あの有名なセルジュ・ゲンスブールもここに数年間住んでたようです。実際のロケ地にシテデザールが使われており、ブリジット・バルドーと共に、ピアノを弾きながら「ボニーとクライド」を歌うシーンがとても印象的でした。こうした歴史的な芸術家たちも、このシテデザールの環境に心酔しながら数々の名作を生み出していたのだと思うと、本当に感慨深く、自分自身も同じ環境に身を置けたことをとても誇りに思います。

僕は6年に渡るパリ留学と3年間のベルリン留学を経て日本に完全帰国し、現在はピアニストとして各方面で活動しています。今年10月13日には銀座王子ホールにて、ニューアルバム 『The Passion』 リリース記念のリサイタルを行います。僕が毎回パリの秋の空を思い浮かべながら心を込めて演奏しているフォーレの「ノクターン第6番」や、珠玉の幻想美を誇るリストの「ペトラルカのソネット」などの作品を演奏します。

最後になりますが、このシテデザールでの生活環境を与えてくださったAPEFの関係者の皆様に、この場をお借りして心からの感謝を申し上げます。そして、この感謝の想いをこれからも音楽を通して、皆様にお届けしたいと思う限りです。

 

  • 【齊藤一也 プロフィール】
    山梨県生まれ。東京藝大附属高、同大学卒業後、パリ国立高等音楽院、ベルリン芸術大学を最優秀で卒業。2021年6月に デビュー・アルバム『une journée ユヌ・ジュルネ』 をリリースし、BT収録曲 《ショパンの「小犬のワルツ」による即興曲―ネコ好きのための―》がミューズ・プレスより出版 される。東京音楽コンクール最高位、日本音楽コンクール第2位及び三宅賞・岩谷賞。カンピジョス、第7回マッサローザ国際ピアノコンクール優勝。ロン・ティボー国際、サンタンデール国際コンクールファイナリスト、アルトゥールシュナーベルコンクール最高位及びスタインウェイ賞。これまでに秦はるひ、ミシェル・ダルベルト、ビョルン・レーマンの各氏に師事。今秋10月19日2ndアルバム『The Passion』がアールアンフィニレーベルよりリリース予定。■ HP ■ https://www.kazuyasaito-pianist.com/
  • ♫ CD
    齊藤一也デビューアルバム『une journée ユヌ・ジュルネ』
    ▶ バッハから佐藤眞まで、時代も国も異なる10曲を収録したピアニスト齊藤一也による渾身のデビュー・アルバム!
    https://unejournee.official.ec/items/59601382

    ♫ 楽譜
    齊藤一也作曲『ショパンの「小犬のワルツ」による即興曲 ― ネコ好きのための ―』
    ▶ ショパンの「小犬のワルツ」と誰もが一度は耳にしたことがある「猫ふんじゃった」が見事な融合を果たします。「小犬のワルツ」の持つ気品さはそのままに、カプリッチョ的な性格と即興的な要素をふんだんに取り入れ、アンコールピースとしても大いに盛り上がるような工夫が凝らされています。
    https://muse-press.com/product/mp05801/
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パリ国際芸術都市(Cité internationale des Arts)は、フランス文化省とパリ市によって1957年に設立された財団で、1965年完成のアトリエ兼宿泊施設に毎年世界各国からの芸術家を受け入れています。APEFは前身「日仏文化センター」が芸術都市理事会と交わした契約に基づき2つの個室の推薦権を保有しており、1975年から2021年3月まで毎年入居者を推薦してきました。コロナ禍で中断した入居者推薦を再開するにあたり、2011年から2年間アトリエに滞在し研鑽を積まれたピアニスト・斎藤一也さんにエッセーをお寄せいただきました。