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Pouvoir, c’est vouloir !?-仏検が教えてくれたこと

工藤 貴子(弘前大学)

4月下旬、2020年度春季試験中止を知って真っ先に思い浮かんだのは、これまで教師として、仏検試験監督として出会ってきた数多くの学習者の皆さんのことです。今年1月の最終授業が終わり「春になったら仏検を受けたい」と笑顔で教室を後にした学生、「仏検って本当にエキサイティングな機会ですね!」と興奮気味に語っていた女性、すでに1級に合格しながらその実力を維持するため毎回受験している男性、いまどんな思いでいるだろうか、と。

青森県弘前市は人口17万弱の地方都市ですが、弘前大学を会場として毎年仏検が実施され、車で約1時間の県庁所在地・青森市も含めて近隣の市町村からフランス語学習者が腕試しに集結します。人数はただし、こじんまりとしたものゆえ、人様の顔を覚えるのが得意な私は、二度目には「あ、どうも!」なんて声を掛けてしまうほどアットホームな(と自分では思っている)会場です。同じ級に何年もチャレンジし続ける受験生の方とはお互い「エヘヘ」と笑い合う仲。あっちはもしやバツの悪い「エヘヘ」なのかもしれませんが、こっちのそれは正真正銘、親愛と尊敬を存分に表明したもの。試験終了後、廊下で一人答え合わせをする姿や、同じ級を受けた受験者同士が連絡先を交換している場面に遭遇すると、フランス語への深く一途な情熱に毎回胸が詰まり、魂が洗われるような思いをしています。

こんな気持ち、前にも経験したことがある。同じ仏文専攻の同期や後輩がせっせと仏検の願書を書くのを眺めていたあの時。ボリス・ヴィアン、ドビュッシー、澁澤龍彦が好きだからというそれぞれに真っ当な理由でこの仏文コースにいる人たち。ほかにも美術部員、語学の天才、オシャレ番長。学生研究室に堂々と居並ぶ彼らに混じり、自分がここにいるのはまさに「魔が差した」としか言いようがなく、今風に言うなら「コレジャナイ感」。友人たちの果敢なチャレンジを眩しく見つめつつも、劣等感に襲われて一歩も動けなかったあの頃でした。

そんな私を前に、先生はおっしゃった:「アナタの場合、2級取らなきゃ卒業させないよ」

なぬ?
まずい。
そりゃーまずい。
こうなりゃさっさと合格し、とっととフランス語におさらばだ。


かくして私の仏検対策は始まりました。やおら対策クラスに顔を出す。下級生の目が注がれる中、ご指名を受けて黒板の前でひとりディクテする。緊張のあまり耳も気も遠くなり、録音がよく聞こえない。見学に来ていたフランス人留学生が見かねて「ドゥゼル、タカコ!」と助け舟を出してくれますが、それが« deux L »のことだと気づくのにいったいどれだけの時間をロスしたことか。また、別の回ではディクテしながらみなクスクス笑っている。なんとなれば、この時の教材は笑い話。恥ずかしくて顔を上げられず、自分以外に笑えなかった人があの場にいたかどうかは今もって謎。

これほどの劣等感からどうやって逃げようか。でも逃げたら卒業できないし…。バース、掛布、岡田にツーアウトから3連続バックスクリーン本塁打浴びた槙原もまだ現役続行してるもんな(わかりにくい喩えその①。※平成生まれの方は「伝説のバックスクリーン3連発」で検索☝S.V.P. ! )。でもじんましんかゆい…。

こうした堂々巡りの合間を縫って、ひたすらに問題をこなす。そう、得手不得手を考える暇も好き嫌いを思う間もなく、ただ無心でフランス語の音に向かううち、先生が常々おっしゃっていた発音とつづり字の規則性や美しいとさえ感じる明晰な文法体系、それを骨組みにして展開される文章の論理性が、実感としてある日突然胸の中にストンと落ちた。猛吹雪の帰路、正面から顔を叩く雪と風に抗って無心に歩を進め、ふと我に返って見上げると、空にはいつの間にか瞬く星が一面に広がっていた…時のような開放感に、仏検の経験はとてもよく似ています。(わかりにくい喩えその②。※コロナ終息後はぜひ真冬の弘前へ!)

この時、私自身も何かから解放されたのでしょう。俄然フランス語が楽しくなり、あれだけさっさと足を洗おうとしていたこの言語との付き合いがいまだに続いているのだから、人生とは本当に不思議です。さまざまなコンプレックスから逃れるには結局のところ、それに真正面から向き合うしか方法がなく、突破口はそこにこそ見出せるものだと信じるようになりました。仏検を通して、私は自分なりの人生の歩き方まで見つけたと言ったら言い過ぎでしょうか。


 « Vouloir, c’est pouvoir. »という表現があります。留学したい、フランス語を使って働きたい、あの小説を原書で読みたい、あのサッカー選手のインタヴューがわかるようになりたいなど、フランス語やフランスへの「望み」を原動力に猛勉強を重ね、それを通してフランス語で「できる」ことがどんどん増えてゆく。フランス語教育振興協会HP「合格者の声」https://apefdapf.org/voixには、そうした方々のポジティブな体験談が数多く寄せられていて勇気づけられます。

しかし、苦手意識を乗り越えて「できる」ようになったことをきっかけに、今後フランス語を使って挑戦したい「望み」を語る人にも、私は強いシンパシーを覚えます。「選択必修なんで」「消去法で」と初回授業で不安そうに座っていた学生の目に徐々に生気が宿り、学期末にはオススメ参考書や留学、そして仏検の相談に来る学生を数多く見守っていると、拙文のタイトルとした« Pouvoir, c’est vouloir !? »もあながち間違いでもないかという気もしてきます。

自分には少し遠いかもしれない目的地を設定した時、不安や力不足を感じることは誰にでも起こることです。しかし、その距離を走破「できる」時、新しく「したい」ことが生まれる。これを繰り返しながら目の前の風景は次々と更新され、学ぶ喜びはいつまでも尽きることがありません。道の向こうのまだ知らない景色は、実はまだ会ったことのない新しい私たち自身なのです。


本学では2017年度以降、英語以外の外国語が選択必修から自由単位扱いとなったこともあり、履修者数はかつての1/3程度にまで減少しています。かろうじて人文社会科学部の学生には専門課程でフランス語実習を履修する道が残され、ここでフランス語の知識や運用能力を向上させ、協定校のボルドー・モンテーニュ大学へ留学する学生も毎年出ています。しかし、こうした全学的な制度変更によって他学部の多くの学生が新しい言語との出会いを逸しているとすれば、その言語を通して「できる」ことも減り、その後見つけるかもしれない「したい」ことにもたどり着けません。

一方、市民の立場で見れば、組織立ったフランス語学校のない弘前では独学を余儀なくされる人も多く、この状況を憂慮したある同僚はフランス人留学生と市民・学生を繋ぐフランス語レッスンを文字通りの手弁当で始めています。本学は弘前にいながらにして世界へと開かれうる機会を広く市民にも提供する、最後の砦であり続けなければならないという一心からです。

そして2014年からは人文社会科学部の学生有志が中心となって「弘前×フランス」プロジェクトを立ち上げ、中心商店街活性化とともにフランス文化の紹介や国際交流・多世代交流の場を設けるイベント”Fête Française à Hirosaki~フランス日和”を毎年9月に行っています。フランス風マルシェが立つ広場でフランス語話者をゲストに招いたトークショー、フランス語と津軽弁による詩の朗読、弘前ペタンク協会のご協力を得たペタンク体験コーナーなど、弘前にフランス文化を掛けた新しい魅力を届けたいという想いは徐々に市民の皆さんに浸透し、来場者数も年々増加しています。また、サポートに入ってくださった神戸大学、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス、宮城学院女子大学、大阪産業大学、近畿大学の教員学生有志の皆さんとのディスカッションを通してこの活動への新たなヒントを得、学生自身の内面にも掛け算現象が起きていることでしょう。

vouloir とpouvoir は自転車のペダルのようなもので、片方が動けばもう片方も自然に動き出し、それを踏む私たちはぐんぐんスピードを上げて進みます。この二つの動詞の間にあるものの一つが仏検や大学であることを、私は自分自身の経験や仏検会場で出会った皆さん、そしてネットで目にする学習者の方々の声から実感します。そしてそこには、学ぶ人の数だけかけがえのない物語やフランス語への想いがあることも知りました。それらを大切に抱きつつ、仲間を求めて人が集まって来る広場のような場所であること、それが仏検や大学の役目ではないでしょうか。


思いもよらない仏検中止の知らせから半年。不確定な未来を想像したり憂いたりしながら、この期間もずっと仏検を目標にしてきた学習者の皆さんに、私が初めてディクテで20点満点の19点をもらった答案に恩師が記した言葉をそのまま、尊敬とエールを込めて最後に贈ります:「自信と希望を持って、これからも地道な努力を続けてください。地味な努力を続けられる力こそ、真の才能なのですから」。