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富山大学の仏検一般会場化への軌跡

中島 淑恵(富山大学)

2015年3月北陸新幹線が開通し、東京・富山間は2時間余りで移動可能となった。富山人にとって東京とこのように短時間で結ばれることは戦前からの悲願であり、東京出張は日帰りがデフォルトになってしまったというあまり嬉しくない副産物はあるものの、その便利さは否定するべくもない。いきおい外国人観光客が増え(その最終目的地は多くの場合金沢で、富山は単なる通過点に過ぎない場合も多いが)、かつてのような、「街角で西洋人を見たらロシア人」という状況は一変したように思われる。

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私が富山大学に赴任したのはもう20年以上前、ふた昔も前のことになる。当時はちょうど第3セクターのほくほく線が開通したばかりで、東京に出るのに米原周りで東海道新幹線という迂回経路を取らずとも(この場合ゆうに5時間以上かかっていたらしい)、越後湯沢乗り換えで上越新幹線、それでも4時間以上はかかるという時代であった。また、東京出張の行き帰りの途上、ほくほく線の車中で雪や突風のために何度も缶詰めになり、雪や風に強い新幹線の開通を一日千秋の思いで待ったものである。

 富山大学の前身は旧制高等学校で、もともと理科系が強いこともあり、第2外国語としてはドイツ語の勢力が強く、次いで近隣諸国の言語である中国語・ロシア語・朝鮮語の学習者も相当数いたため、他の地域と比べフランス語の履修者が相対的に少なく、また質実剛健な土地柄から、「ちゃらちゃらしたおフランス」への反発のようなものも少なからずあったようにも思う。というわけで私の赴任当時富山大学における仏検受験者はたぶんゼロであった。無理もない。受験しようと思えば検定料以上の交通費を払い、ほぼ一日仕事になる時間をかけて直近の一般会場である金沢まで行かなければならないのである。これでは受験者がいないはずで、何とかして準会場受験に漕ぎつけたのが赴任後1年目であった。以来自分自身も会場責任者と監督者を兼ねながら、非常勤講師の方や町中でフランス語教室を主宰している方にお手伝い願って、準会場受験を18年間実施してきた。そうこうするうちに、初めはこわごわ5級や4級を受験していた学生たちが、やがて3級に合格、2級の1次試験に受かる者も出てきた。また、長く富山に暮らしているうちに、一般市民の方の中にも意外にフランス語学習者の方がいらして、上位級にトライする方もいらっしゃるという事情が、だんだんと分かるようになってきた。

実は当時、金沢で2次試験は実施されておらず、2次となると東京か京都、あるいは名古屋まで出なければならないのが常であった。当然新幹線のない時代である。2次を受けるのに泊りがけ、お金のない学生たちは夜行で移動するのが常だったが、ここに季節の壁が立ちはだかる。秋季試験の2次は1月末。都会の方には想像もできないことかも知れないが、雪で交通機関が止まってしまい、泣く泣く受験をあきらめたというケースもあった。春季ならば大丈夫かというと、実はこれがまた大風や台風の時期にあたり、交通機関の混乱で、出発したものの指定時刻に会場にたどり着けなかった、という事態も発生したのである。10年ほど前から金沢で2次受験が可能になり、今では多くの富山大生が金沢会場での2次受験に臨んでいる。

準会場受験は、初めは富山大生限定で大掛かりな宣伝はせず、自分の声の届く範囲で専攻の学生を中心に受験させていたが、受験者数が少ないときに、フランス語教室に通う一般の方にもお声掛けすることになった。その頃にさる富山の名家の大奥様に言われたことが今でも忘れられない。その方は現在80代、東京の女子大の英文科を卒業されている(富山の名門のお嬢様は今でも大体このような経歴を辿るのが常である)。大奥様曰く、「もう大昔のこと、私がまだ若いお嫁さんだったころに、大学の第2外国語で勉強したフランス語をものにしたくて、一人で勉強を続けていたの。そして金沢に仏検を受けに行ったのだけれど、もちろん婚家には内緒で出かけなければならなかったので、実家のおつかいとかなんとか取り繕って一日がかりで出かけたものよ」。当時は大卒というだけで婚期を逃すと言われた時代である。お嫁に行った先で仏検を受けに行くなどと言ったら、「なんと生意気な嫁、だから大学出は…と言われかねなかったことだろう。この大奥様の一言が富山会場を一般会場化する原動力になった。

いろいろあって少し時間がかかってしまったけれど、2016年度秋季仏検から富山会場を一般会場化させていただいた。始めは受験者がそれなりに集まるか心配で、学内だけでなく地元の外国語専門学校や取次の書店に私自ら営業活動に行ったが、ふたを開けてみるとまずまずの受験者数、しかも準2級以上の受験者が私の学生だけでなくかなり大きな割合を占めていることが分かった。当日は会場責任者を務めながらこっそり目頭が熱くなることが何度もあった。スタッフが集合して準備を始めたばかりの時間に会場にいらした年配の男性、卒中の後遺症かお体が不自由そうである。「富山会場なら障がい者用のタクシー券を使って来られるので…」と遠慮がちに言われたときは、本当に富山会場を一般にオープンしてよかったと思った。それから、見るからに上品そうなお母さまが車で連れて来られた小学生の姉妹、雰囲気からしてバレエか何かをやっている感じである。その日はとても寒く、受験者用に控えの教室を用意しているのでそちらでお待ちいただくようお母さまにお勧めしても、「私は受験者ではないので結構です」と譲らず、姉妹の受験が終わるまでロビーでひざ掛けをしてお待ちになっていた姿にも頭が下がった。

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私は富山出身ではないけれど、こんな風に遠慮がちで真面目、着実に努力する富山の方々が大好きである。そして、富山大学を一般会場化することで、「旅の人」である私を不器用に、けれど暖かく迎え入れてくださった富山の皆様に何がしかの恩返しができたとしたら、それは望外の喜びに他ならないのである。

(写真2点は雪の日の五福キャンパス)