特派員の私の仕事
古山 彰子(NHKヨーロッパ総局)
私は今、パリにあるNHKヨーロッパ総局で特派員をしています。記者になって9年目。2011年に記者職でNHKに入局し、広島で5年間、警察や司法、行政、原爆の取材などをし、その後2年間は渋谷の報道局国際部でヨーロッパを担当し、2018年夏から特派員になりました。フランス語との出会いは高校1年生の春。静岡県の私立高校で、毎週土曜日に希望者のみが中国語、スペイン語、フランス語を学べる授業がありました。英語が好きだった私は、2つめの外国語も学んでみたい、スペイン語が楽しそうかななどと考えていたら、英語の補修の授業と重なってしまい受講できません。中国語は、漢字が苦手だし・・・(笑)、などと消去法をし、最後に残ったのがフランス語でした。フランスがどこにあってどんな国なのかを想像することもなく、何の憧れも抱くことなく学び始めましたが、すぐにその美しい響きに魅了され、フランス語を自分の言葉にしたいと強く思うようになりました。
仏検を受けたのは高校1年生の冬が初めてで、5級に合格した時はすごく嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。その後、大学では文学部英文学科に進学したものの、どうしても諦めきれず、4年生から1年間、大学の交換留学制度でパリ政治学院で学びました。特派員になってからは、ニュースで使われる単語や表現が分からず苦戦し、例え分かっても、さあどうやって日本語に訳そうか、意義づけしようかと、日々試行錯誤しています。この1年間、私が向き合ってきたフランスの国政について、振り返ります。
マクロン政権を窮地に!?半年あまり続いた黄色いベスト運動
この1年間、日本のメディアで最も報じられたフランスのニュースは、間違いなく「黄色いベスト運動」だったと思います。きっかけは、マクロン政権が打ち出した2019年1月からの燃料税の引き上げ。2018年11月17日に行われた初回のデモには、全国で24万人あまりが参加しました。年の瀬が近づき寒さもいっそう厳しくなる中、デモはその後も毎週土曜日に呼びかけられます。私も毎週のように早朝のシャンゼリゼ通りに取材に出かけ、デモの様子を撮影したり参加者にインタビューしたりして、夜の「ニュース7」や朝の「おはよう日本」に向けて原稿を書きました。
たくさんの人にインタビューしましたが、私が出会った人たちは全員、地方からパリまでデモをしに来ている人たちでした。中には、金曜日に仕事が終わったあと、夜通し運転してパリまで来て、早朝からデモに参加しているという人も。マクロン大統領は、燃料税を引き上げることで、なるべく車を使わない社会を実現し、電気自動車などにシフトすることで地球温暖化対策を強化したいという考えでした。しかし、地方で暮らす多くの人たちにとって車は必要不可欠で、電気自動車に買い替える金銭的余裕もなく、大統領が掲げる温暖化という崇高な理想にはついていけないというのが現実なのです。
「エリートで、地方の人たちの気持ちが分からない」とたびたび批判されるマクロン大統領は、時折「私も地方出身だ」などと発言し、こうした批判をかわそうとしています。しかし、車、そして燃料税という地方の人たちの生命線とも言える部分にメスを入れようとした姿勢は猛反発を買い、結局12月には燃料税の引き上げの 見合わせを発表。しかし、年が明けてもデモは収まりません。そこでマクロン大統領は、地方の人たちの声に耳を傾けようと、1月から地方都市に出向いて自治体の代表などと対話する国民対話(débat national)を始めます。私は初回の北西部ウール県、パリ近郊、コートダルモール県での集会を取材しました。 「国民対話」と聞いた時、きっと日本でも多くの政治家がするように、地方を訪れ、数分間地元の代表と面会し、「対話した」ことにするのだと考えていました。しかしふたを開けてみると、初回は600人近くの自治体のトップと7時間近くにわたって対話。その後、別の集会もテレビの中継を見ていると、1回の集会は6時間〜7時間は当たり前に続き、集会が終わったのがちょうど深夜0時という時もありました。
集会中、休憩時間はありません。どれだけ長時間であっても、マクロン大統領は市民と肩を並べて座り、1人1人の発言をメモを取りながら聞き、質問者の目を見て回答します。発言がヒートアップして、真冬にもかかわらず途中上着を脱いでシャツを腕まくりする姿も何度も見られました。こうした姿を、「マクロンが得意なパフォーマンスだ」という日仏関係者もいます。ただ、日本で生まれ育った私は、国のトップが地方自治体を訪れ、市民と何時間も対話する、市民がぶつけてくる医療福祉や公共サービス、中には携帯電話の電波が悪いなどという政府とは関係のない問題にまで1つ1つ耳を傾ける、という姿はこれまで一度も見たことがありません。自分が選んだ、もしくは選ばなかった けれど多数決で選ばれた国民の代表に直接意見をぶつけたい人たち、それを受けて立つマクロン大統領。集会の中で、どれだけ不満をぶつけた参加者であっても、終了後にインタビューすると「意見の違いはあるけれど、これだけ聞いてもらえてよかった」と笑顔で話し、民主主義とはこういうことなのではないかと感じた瞬間でした。
4月上旬にすべての地域を回り終えたマクロン大統領は、4月25日、大統領府で異例の記者会見を開き、「私の政策は、市民に十分に寄り添ってこなかった」と述べ、所得税の減税や2000ユーロ未満の年金受給者については2020年1月から物価上昇率に応じて支給額を増やすなどの新たな対策を打ち出します。一方で、高額所得者への富裕税の廃止といった2017年の就任当初からの政策の方針には大幅な修正は加えない考えを示しました。この発表を、マクロン大統領が譲歩したと伝えるメディアもあれば、何も変わらなかったと伝えるメディアもあり、評価は分かれています。それでも、一時20%台前半まで落ち込んだマクロン大統領の支持率は、7月には30%台半ばまで回復。「黄色いベスト運動」の規模も大幅に縮小しました。「パリが燃えている」と、一時は毎週騒がれたデモを、マクロン大統領は抑えるのに成功したといえると思います。
3年後の大統領選挙の前哨戦となった欧州議会選挙
今年5月に行われたEU=ヨーロッパ連合の議会選挙。普段は日本ではまったく注目されることのない選挙ですが、今年はひと味違いました。イタリアやハンガリーなど、ヨーロッパ各国でEUに懐疑的な政党が支持を伸ばす中、ヨーロッパ議会でもこうした勢力が議席を増やせばEUの重要な政策の審議に影響を及ぼしかねないという見方が広がったからです。フランスでも、マクロン大統領の中道政党「共和国前進」とルペン党首率いる極右政党「国民連合」の支持率は当初からきっ抗していました。4月、「共和国前進」のパリのメンバーがカフェに集まって選挙活動について話し合うと聞き、私も参加してみました。集まったのは老若男女10人ほど。選挙対策会議と言っても、カフェで、赤ワイン片手にチーズやハムをつまみながら話すという、一見かなり楽しそうな会です。しかし、皆口をそろえて示すのは、極右政党の躍進に対する危機感。「国民連合」は、今回の選挙で23歳のバルデラ候補を筆頭候補に指名して「反マクロン」を鮮明に打ち出し、若さと勢いで「共和国前進」の筆頭候補・ロワゾー氏は押され気味だとメディアも繰り返し伝えていました。
会議に参加していた1人が、ピエール・ロメさん(37)。パリの経営コンサルタント会社で働いています。学校では、EUこそがヨーロッパを一体的に発展させる理想の集合体だと学び、通貨統合や単一市場は生活に欠かせないものだと信じてきました。平日の仕事が終わったあとや、休日は、仲間とともにビラ配りをします。2017年の大統領選挙の決選投票で、マクロン大統領がルペン氏に圧勝したパリ。しかし、路上でロメさんに不満をぶつけてくる人も少なくありませんでした。マクロン大統領が就任直後に導入した、高額所得者への減税措置などは、いまだに「金持ちを優遇している」などと、強い反発があるのです。「黄色いベスト運動」を受けて、今年4月に所得税の減税などを打ち出したものの、就任後の2年間でマクロン大統領への風当たりが厳しくなっていることが伺えました。
今回のヨーロッパ議会選挙は、フランスでは結果的に、2022年の大統領選挙の前哨戦となったという見方もあります。なぜでしょうか。第1党となったのは「国民連合」(23.33%)、第2党は「共和国前進」(22.42%)、第3党は「ヨーロッパエコロジー・緑の党」(13.48%)、そして第4党が「共和党」など(8.48%)。つまり、与党「共和国前進」が、2年前の大統領選挙の決選投票で打倒したはずの「国民連合」に第1党を譲っています。選挙戦が始まった早い時期から、「共和国前進が負けるのではないか」という世論調査は多くあり、私自身も結果に驚きませんでした。しかし、開票日に「共和国前進」の集会場で取材していてどうしても腑に落ちなかったのが、候補者と支援者の反応でした。「『国民連合』に負けた」と分かった時点で、記者の私は「残念です」とか「悔しいです」といった反応がほしくなります。しかし実際に話を聞くと、「私たちは2016年にできたばかりの政党で、3年という短い期間で、ヨーロッパ議会選挙でもフランスで第2党になれて光栄です」など、好意的な声しか聞こえてこないのです。その反応は、筆頭候補のロワゾー氏の表情からも読み取れました。
公共放送France2の開票速報が大画面に映された会場で結果予測が流れる瞬間、私はロワゾー氏の目の前で取材していました。まず、「国民連合」が第1党だという情報が流れた時、ほかの支援者と同様、落胆した様子を見せました。しかしその後、他の政党も含めた結果予測を目で追い、一瞬、ニコリと笑顔を見せたのです。翌日以降、専門家や日仏の政府関係者に取材をしていく中で、ようやくその意味が分かってきました。今回の選挙では一時、2017年の大統領選挙で大敗した「共和党」が再び支持を集めるのではないかという見方が広がったものの、ふたを開けてみれば10%にも満たず惨敗。つまり、現段階では、「国民連合」と「共和国前進」が他の政党を大きく引き離して絶大な支持を得ており、「共和党」が大幅な立て直しをはからない限り、 2022年の大統領選挙も「国民連合」と「共和国前進」が決選投票に残る見通しがきわめて大きい、そして、2017年に「国民連合」(33.9%)にほぼダブルスコアで勝利した「共和国前進」(66.1%)は、よほどの地殻変動が起きない限り、「国民連合」に逆転を許す事態にはならないだろうということなのです。なるほどと思いました。とは言っても、2017年の大統領選挙では、前の年に発足した「共和国前進」が一気に支持を伸ばし、マクロン大統領が誕生したのがフランスです。何が起きるか予測不可能なことも多く、そこがフランスの国政の面白さだと思います。
終わりに
パリに来て1年あまりが経ち、特派員としての自分の役割は何だろう?とふと考えることがあります。今の私は、原稿を書き、特派員の同僚や東京の上司と日本語でやりとりする以外は、フランスのメディアを読み、現地のスタッフとやりとりし、取材に出かけ、私生活ではパリで暮らし、スーパーで食料を買い、時には現地の友人たちとフランス社会について語り合うというフランスにどっぷりつかった生活をしています。ここで暮らしている人たちが日々何を感じているのか、どうすれば日本から遠く離れたフランスを身近に感じてもらえるか、フランスの人たちからそのヒントをもらいながら仕事をしています。きっと私自身、16歳でフランス語に出会わなければ、こんなにフランスを身近に感じることも特派員を目指すこともありませんでした。そして、フランス人以外の、フランス語を外国語として話す人たちと友人同士になれることもなかったと思います。私の書いたニュース原稿やリポート、関わった番組を見て、「フランスを身近に感じた、もっと知りたくなった」と思う人が少しでも増えれば、特派員としてこれ以上嬉しいことはありません。これからも現地の人々の思いに寄り添い、取材には妥協せず、仕事を続けていきたいと思います。私に世界を開いてくれたフランス語を使って。