付加価値としての仏検
大谷 尚文 (石巻専修大学教授)
のっけから私事にわたって恐縮であるが、昨年の10月8日付の『APEF通信』に寄稿なさっている沖縄国際大学教授の大下祥枝さんとは旧知の間柄である。そして大下さんはそのエッセーで、私が知りたいと思っていたことをあらまし書いてくださっている。どうすれば2級以上のレベルへと学生をみちびいていけるかということである。準2級と2級の差の大きさに、思わず腕を組んでしまったところだったからである。大下さんは学生指導に交換留学生制度を組み込んでおられる。留学する学生には日本で3級か準2級までを取得させ、それ以上は留学体験の向こう側に位置づけておられるのである。わが大学のように1、2年生の教養科目としてのみフランス語を開講している大学にとって、たいへんに参考になる、きわめて妥当な構想である。ということは、わが大学でもフランス留学へのはっきりした道筋を確立しなければならないということだろう。
さて、これが私に課せられた今後の課題であるとして、当面、私にあたえられたテーマは、「仏検」をどのように利用しているか、「仏検」を採り入れることでどのような効果が期待できるか、ということである。これについては、あまり立派なことは言えそうにない。ご覧の通り、いまだ手探り状態だからである。
「みなさーん、仏検を受験してみませんか。試験会場? 仙台です」
本校の所在地である石巻市は、仙台から東方に60キロ、塩釜や松島という有名な町のさらに倍以上も東に位置する、JR仙石(せんせき)線の終着駅の港町である。
これまで授業中に勧めることはあっても、実際に石巻専修大学を会場にして仏検を開始したのは2007年の秋季からである。その年度がはじまって早々、英語以外の外国語の教員が集まって、そろそろ独検、仏検、中検を単位化すべきではないかと話し合った結果である。実際には専修3大学(専修大学、石巻専修大学、専修大学北海道短期大学)の足並みをそろえるために、仏検合格即単位取得ということにはならず、成績評価の際に大幅に加味するということにとどめ、現在にいたっている。
アルバイトを雇う費用をどこからも捻出できないので、受付と予備監督は家内、正規の試験監督は私ということで出発した。この状況はいまも変わっていない。5級と4級、さらに3級と、試験が時系列に配列されているときは、それですむが、準2級の1次試験がそれに加わると、午前中に試験が二つ同時におこなわれるので、監督者はどうしても2名必要になる。その場合は、アルバイト料を支払う必要のない古くからの友人や親戚に頼んだりする。仏検が午前中だけで終わるときには、受験者数の少ない春季であれば、4級の受験生と準2級の受験生を連れて、そのままラーメン屋になだれ込んだりする。たまたま手伝ってくれた旧友が大酒飲みであったために、昼食をご馳走するつもりが飲み会になってしまったこともある。
「仏検だと思っていたのに、宴会だったのですね」
女子学生には、そう叱られた。
学生たちは一生懸命に受験してくれるが、残念ながら合格率はよくない。試験の前に補講をし、とくに不足していると思われる聞き取りの練習をする。試験前の2度の土曜日、昼食をはさんで、
「先生、疲れた。もうやめましょう」
と言われるまで聞き取り練習をする。それでも合格率がよくない。
ところが、その一方で3級の合格者が出、昨年度は準2級の合格者まで出ている。それらの学生にどのようにして勉強したのかを訊ねてみた。何のことはない。彼らは夏休みと春休みに問題集を買い込んで自分で勉強しているのである。
これで方針が定まった。長期休暇前に、たとえば、つぎに3級を受験しようとする学生には、3級の問題集を買わせ、あるいは貸与し、休暇中に一度、補講らしきものをおこない、その進度を確認するのである。この春休み、3級を目指して3名の学生が勉強している。今度の春季の試験が楽しみである。私の注意すべきは過干渉である。
付加価値という言葉が浮かんでくる。大学でフランス語の単位を取得しただけでは、もはや学生には不満足であるらしい。『銀河鉄道の夜』の考古学の学士さんの時代は、その余韻さえも消え去った。学生は自分が取得した単位に、だれかが、へえ! と驚いてくれる、もっと公的な認可を求めている。おそらく、学生が仏検に求めているのは、これである。準2級に合格した3年生の学生の言葉が、まさしくそれを証している。
「仏検準2級合格と書かれた履歴書をもって就活をはじめようと思います」
この学生のささやかな希望が実現することを願ってやまない。