「グローバル時代」にフランス語を学ぶとは…

                      鈴木 正道(法政大学 国際文化学部教授)

 フランス語学習者が減っている。最近様々な機会で聞く言葉である。実際フランス語検定試験の受験生も減っている。私の勤める法政大学でもフランス語履修者はじりじりと減っている。実は大規模校でありながらフランス語を専攻とする学科はない。多くの学部では選択必修として一年次と二年次で諸語(本学では英語以外の言語をいかにもその他もろもろと言ったふうにこう呼ぶ)を学ぶことになっている。学部によっては一年次のみの履修となっている。国際文化学部ではSA(Study Abroad)と称して二年生の秋学期に外国の協定大学に留学することが卒業要件になっているが、三年次以降、SA言語を軸にした履修上の縛りはない。

 アンケートや雑談を通して気づいたことがある。英語以外に外国語をやりたいと思っている学生はかなり多いということ。フランス語履修者の学生の中には、負担感を抱く者がいること。特に動詞の活用や文法の複雑さ、発音の難しさを訴える学生が目立つ。他方フランス語の勉強を課さないフランス文化に関する授業は人気を保っている。もっとも単位が取りやすいからという理由もあろうが…また三年生以上を対象とした派遣留学制度(出願資格として仏検、DELF/DALF、TCFの成績を設けている)に関してはフランスの大学志望者の数は安定している。さらに国際文化学部のSAの行き先別特別入試では、フランス志望の応募者が他の諸語に比べて毎年多い。どうやらフランス 語の学習は、一部の思い入れの強い学生が熱心にやる反面、外国語の学習に特に興味のない学生にとっては大きな負担になっているようである。

 ここでフランス語の学習者が減ってきた理由について考えてみたい。まずは大学のカリキュラムで第二外国語の位置づけが低くなったこと。フランス語そのものが科目として廃止された大学もあると聞いた。これはいわゆるキャリア教育重視と関連している。何か開講科目を増やせば何かを減らさなくてはならない。減らさなくても関心が集まらなければ登録学生も減る。就職支援関連の科目が重視されれば就職に直接かかわらないとされる科目は脇へやられる。とりわけ重視されるのが「日本語力」である。いかに「社会人」、「ビジネスパーソン」としてきちんとした日本語で話し、書くかを学ぶ必要があるという。

 第二には英語重視(偏重?)。日本語は必須だが今の「グローバル」な時代では英語も大事ということになる。英語だけでも身につかないのになぜもう一つ、とは昔から言われてきたが、今はそれが実際のカリキュラム編成や学生の動向に表れてきている。巷でも英語は強迫観念の様相を見せている。電車の中でTOEFLや TOEICの対策本、ビジネス英会話の参考書などを読んでいる人が多い。 

 第三に、英語以外の外国語として中国語などが人気を伸ばしていること。電車の中で人が読んでいるのも学校の教科書、旅行会話から労務法規の中国語まで、趣味から仕事の必要まであらゆるレヴェルだ。また朝鮮語(法政大学や東京外国語大学などではこのように呼んでいる)やスペイン語、イタリア語などもかつてに比べて相対的に学習者が増えている。 

 四つ目として、上でも触れたがフランス語は動詞の活用や発音が難しいというイメージがあること。もちろん、このことに対してフランス語の教員はいろいろ工夫を凝らしている。動詞の活用を六つの人称すべてについて一度におぼえさせるようなことはしない。細かい規則にはこだわらず、まず何か言ってみるよう促す。そのために「大人でも遊べるゲーム」を考えるなど。 

 その上でやはり、フランス語が相対的に学習者を減らすのも当然かなとも思ってしまう。中国語学習者が増えている、それも当然でしょ。何しろ十億を超える人口、急激な成長、なんといっても日本のすぐお隣の国で、ここ出身の人が身の回りに大勢いる…韓国ドラマは大人気、それにやはりすぐお隣。むしろ今まで学習者が少なすぎたのだ…西洋語として英語をやったのだからもう一つは東洋語を。英語と張り合ってみても仕方がない?学生の中にはともかくフランス語に夢中と言う人もいるがやはり少数。フランス語を熱心にやってきたが英語抜きでは不安という学生も多そうだ。理科系の学生にとって英語は共通言語として極めて重要になっている。以前は数ヶ国語が様々な分野で世界の共通語として使われていたが、今は英語に収斂しつつある。でもこれはある意味では当然だろう。特に自然科学など対象の普遍認識を追究する分野で媒介言語がいくつもあったのでは不便なのだ。

 簿記、行政書士、会計士、司法試験など日本語を媒介とした資格をとろうとしている学生にとって外国語の履修はそもそも大きな負担になっている。どう結果が出るかわからない(はずの)実験などに没頭している学生はとにかく時間がない。英語だけで精一杯。となると、フランス語がその本領を発揮できるのは、広い意味での「文化」ということになろうか。上述の法政大学の派遣留学制度において、フランスへの希望者の多くはブランドなどのマーケティング、政治や歴史などに関心を持っている。もちろん自然科学などの領域でもフランスが大きな成果を上げていることはよく知られているし、昨今はフランスでも自然科学の授業を英語で行なう大学が増えている。留学するにはフランス語を生活言語として学んで行く必要がある。しかしそれだからこそ敬遠される傾向があるのも事実だ。フランスで学ぶ、ヨーロッパやアフリカ出身の理系学生は多い。日本でもこうした学生が増えるような日仏双方の努力が必要だとも思う。

 法政大学では日本学術振興会の提供するグローバル人材育成推進事業が採択された。国際文化学部では「諸語」に関して高度で専門的な技能を身に付けさせる授業を開講し、国際インターンシップも実施する予定である。フランス語でも仏検やDELF、TCF、TEFの目標値を定めている。これはいわゆる「エリート」養成のための講座である。それと同時に「一般の」学生、さらには学外の一般の人や中学生、高校生に向けた戦略を模索しつつある。e-learningの導入、英語と並行して効率よく学べる方法の開発、「キャリア」に有利になるレヴェルの達成など…

仏検をもっと魅力的に!

                      中村 典子(甲南大学 国際言語文化センター教授)

 
表題からすると、筆者が仏検に魅力を感じていない、と誤解されるかもしれないが、決してそうではない。実は、筆者は、仏検創設以来、ずっと仏検のことを気にしている。それを証明するために、まず、仏検と筆者の係わりについて、次に、仏検の魅力について語り、最後に、仏検で改善を希望する事項を記したい。


 【1】仏検の創設が1981年であったことを筆者はよく覚えている。なぜなら、1980年(サルトルが死去し、アルチュセールの事件が起こった年だ)に大学を休学してパリに留学した筆者が、1981年秋に帰国して卒論に追われていた頃、1年先に大学を卒業し、大学院に進学したり、フランス系の企業に勤めていた友人たちが、創設された「仏検1級」に合格したと知らされたからである。日本にいた友人たちが受かったのに、パリに1年留学していた筆者が落ちると、「留学=遊学」だったとばれてしまいそうで、その後、怖くて仏検を受ける気にはならなかった。そう、筆者は落ちるのが怖くて、一度も仏検を受けたことがないのだ(スミマセン)。 

 しかし、数年後、非常勤講師としてフランス語を教える立場になると、学生たちから「先生は仏検1級を持っていますか?」としばしば聞かれた。焦った筆者は「えーっと、フランス語を教える立場になると、仏検のお手伝いをすることがあり、残念ながら、仏検受験はできないのです」と答えていた・・・(苦笑)。実際、APEFが欧明社の2階にあった頃、フランス語の法定翻訳兼タイプ打ち(コンピューターがなかった1990年以前)、八王子のフランス語合宿の助手、また、仏検の採点にも従事させていただいた。それ故、仏検を何らかの理由で批判することがあるとすれば、それは、仏検をもっとプロモート(promouvoir)したいという思いからだ。 
 
 1997年に神戸の甲南大学に赴任し、友人の勧めもあって準会場を運営するようになった。そこで、運営責任者の立場から、仏検事務局に次のようなお願いや要望をお伝えしてきた。①2級以上の2次試験の採点を、英検のように「別立て」とし、1次試験免除制度を取り入れてほしい。②試験終了後、問題用紙を回収するように仏検事務局から指示された時、受験生のためにならないと反対した。③4級の聞き取り試験のネイティブの発音にかなりの訛りがあったので、口頭および文書で仏検に抗議した。④2003年頃、台風のために試験が実施できない可能性が生じたことがあった。結果的には実施できたが、その後、万が一に備えて予備問題を作ることを提案した・・・という具合に、いろいろと勝手なことをお願いしたが、④以外はすべて実現あるいは改善された。(Merci infiniment !) 仏検関係者の方々が非常に柔軟な考え方を持っておられることを、ここで強調しておきたい。ご退職なさったが、長年APEFの中心的存在でいらした金沢(安川)千鶴子さんには、アルバイト時代も含めて大変お世話になり、心から感謝している。

【2】仏検の魅力について、筆者は、シラバス等で次のように説明している。 
① 一旦資格を取得すると、一生有効である。
② 3級や4級の合格も、履歴書やエントリー・シートの資格欄に記載できるので、就職活動でプラスとなる。
③ 解答形式が多肢選択式のみのTOEIC・TCF・TEF(便宜上、3Tと呼ぶ)とは異なり、仏検では3級以上に記述式解答部分があるため、実力がないと合格できない仕組みである。また、試験終了後、解答例がもらえるので、すぐに自己採点・反省ができる。

 さて、①は非常に大事だ。英検もそうだが、一旦取得したら「生涯有効」であることが学習者に安堵感を与え、上の級に挑戦する気持ちを育む(因みに、筆者は、十数年前に英検準1級を取得したので、その後、3回1級に挑戦した。今後も挑戦を続けていきたいと考えている)。 

 多肢選択式(=クイズ形式)の3Tは、基本的に人をランク付けするための試験であり、レベル別の問題でもなければ、合格・不合格もなく、有効期間は2年間とされている。就職活動や会社等で求められなければ、また、移民申請に必要でなければ、誰が2年に一度試験を受けるだろうか? お金と時間の無駄である。因みに、中国語検定は2005年から急に有効期間を設けたことで、過去に合格した人たちから猛烈な批判を受けたらしい。②について、ちょっと面白い例を挙げよう。筆者の所属する国際言語文化センターでは、学生に複数の言語の修得を奨励しているため、専任教員も、複数の言語の運用能力があることが望ましい。これまでに何回か専任教員の公募があったが、参考事項として、専門の言語や英語以外に、どんな外国語がどの程度できるのか、証明してもらっている。「仏検4級」「ハングル能力検定4級」と記載し、合格証書のコピーを提出した人もいた。高いレベルではなくとも、一定のレベルに達している、という証明は意外と役に立つのである。③も重要で、自分で答を書く部分があることで、学生は真摯に学習に取り組む。検定試験は通過点にすぎないが、仏検受験をきっかけに、フランス語の文章を読み、フランス語を聞き取ろうとする「主体的な学習」の機会が増えることは間違いないだろう。

 【3】仏検をプロモートしている教員の立場からは、次のような改善を検討していただきたい。
 希望1 :「インターネット申込」が可能となったことは喜ばしい。次に、1次試験に合格した準2級以上の受験者に「1年間の1次試験免除」を適用してほしい。英検では、2013年6月の1次試験に合格すれば、2次試験については、2014年6月まで計4回の受験が可能である。
 希望2 :過去1年間の問題をWEB上で公開してほしい。久しぶりに英検のサイトをチェックしたが、問題冊子・リスニング原稿・リスニング音源・解答を過去1年間3回分、すべて公開するだけでなく、無料・隔週更新の級別・英検対策講座も提供している。飛躍的に受験者数を伸ばしているTOEICに対抗するため、英検も随分と変わった。仏検にとって、過去問題や音源を公開することは、学生数が減少するなか、社会人の受験者を増やすことに繋がると思う。サンプル問題さえWEB上にない現在の状況では、社会人の方へのアピール度が低いのは否めない。筆者は、ある文化センターでフランス語の講座を担当しているが、WEB上で過去問題と音源を公開すれば、公式問題集を購入し、受験を前向きに考える社会人の方は少なくないと思う。
 希望3 :3年次・4年次の学生は、仏検よりTOEICを優先するので、TOEICと試験日が重ならないようにしてほしい。TOEICは年に10回もあるので、学生が早目に計画を立てればよいのだが、そうも言ってられない。そこで、今年から「各言語の検定試験+TOEIC」のカレンダーを作成し、本センターのポータルサイトに置く計画を立てている。

 *よろしければ、4月以降、次のサイトをご参照ください。〈http://www.kilc.konan-u.ac.jp/modules/top/〉 「甲南+言語」の検索で出ます。

 数年後、仏検がさらに魅力的になっていることをお祈りしている。 

変わらぬ想い

2012年秋季準1級合格
橋本 佳奈
学生・東京都

準1級への挑戦は私にとって3度目で、まさに「3度目の正直」でした。合格できたことだけでもすごく嬉しいのですが、さらに成績優秀者として表彰して頂き、大変光栄に思っております。 

私は小さな頃から、何歳のときからかは覚えていませんが、気づいた時には「フランス語を勉強したい!」と思っていました。確かなことは15歳のときに初めて訪れた国際空港でエールフランスのカウンターを見つけ、乗りもしないのにそこで記念撮影をしたこと。あの時にはすでにフランスに対して漠然とした憧れを抱いており「いつかこの飛行機に乗って、フランスに行くんだ!」と強く思ったことをはっきりと覚えています。 

その想いは一度も変わることがなく、夢への第一歩として、大学の仏文科(学習院大学文学部フランス語圏文化学科)に入学しました。初めて受験した仏検は、大学1年次の秋季試験の4級。今回の準1級の合格も本当に嬉しいものですが、あの初めて合格証書を手にした時の喜びは忘れられません。 

その後、2年次の秋季に2級を取得できたことが私の背中を押してくれ、交換留学生として1年間、リヨン第2大学に留学することを決断しました。旅行でフランスへ行くことと実際にそこで生活することとの間には大きな差があり、渡航当初は戸惑うことも多々ありました。しかし、段々とフランス人の友達の助けがなくても自分のフランス語だけで出来ることが増えていき、そういう小さな成功の積み重ね、それは「ひとりで銀行に行って口座に関する問題が解決できた」や「スムーズにレストランの予約が取れた」など本当に些細なものでしたが、全てが自信につながり、留学生活が楽しめるようになっていきました。 

在学中から、将来はフランス語を使った仕事をして活躍したいと思っていましたが、自分の語学力がまだまだ足りないと感じ、昨年卒業後から今までの約1年間、語学学校(アテネフランセ)で徹底的に勉強しました。準1級に合格するためには文法・読解など全ての要素を全体的に底上げしなければならないと思い、基礎からやり直しました。

大学院などに所属しているわけではないので、自分の不安定な立場に心折れそうになったこともありましたが、合格するくらいの力がつけば、必ず道は拓けると信じていました。そして今、目標を達成したことにより、フランスの大学院への進学挑戦などを含めた、また次の目標を設定することが出来そうです。今後もさらなる高みを目指し、努力し続けたいと思います。




 

Le français pour tous (皆にフランス語を)

 2012年春季1級合格・エールフランス特別賞受賞*
嶋崎 裕子
Yuko SHIMAZAKI
主婦・埼玉県 

Des jeunes salariés ou des retraités? Des Tokyoites ou des provinciaux?
La disparité des occasions d’enseignement demeure au Japan. Certains trouvent sans difficulté les moyens d’étudier le français, d’autres n’arrivent pas à dénicher une telle opportunité. Dans les grandes villes, l’Institut franco-japonais nous fournit des programmes éducatifs de premier plan. Même hors des grandes villes, si on fait appel à Internet, il n’est pas difficile de se mettre au courant du français vivant. Par contre, quelle est la situation pour ceux qui ne peuvent pas profiter de tels moyens?

Je m’appelle Yuko Shimazaki. C’est l’archétype de la femme japonaise qui s’est dévouée aux tâches ménagères. J’ai filé une dizaine d’années heureuses auprès de mes enfants.

Il y a 5 ans, ma vie a connu un tournant. Une amie est morte d’un cancer de la poitrine. Soudainement. Sa mort précoce m’a fait réfléchir sur le vrai sens de vie.
« Qu’est-ce que je ferais, si je devais mourir demain? »
« Qu’est-ce que je ferais, si je devais mourir demain? »
J’ai répété la même question dans la tête. Il n’y a eu qu’une seule réponse.
« J’ai envie de recommencer les études du français! »
Jusqu’alors, j’avais interrompu tout ce qui me libère et m’épanouit. La langue française, entre autres, était délaissée au fond de ma mémoire.

D’abord, j’ai commencé à écouter les émissions éducatives du français de la NHK. Ces programmes n’étaient pas inutiles, mais loin d’être satisfaisants. Du fait que les enseignants et les méthodes changeaient tous les trimestres. Cela me semblait manquer de cohérence et d’uniformité.

Ensuite, j’ai suivi les cours de l’Institut franco-japonais de Tokyo. Les professeurs de haute volée et les cours variés m’ont fascinée. Pourtant, j’habitais loin de l’Institut. Et les frais scolaires n’étaient pas négligeables. Le temps et le coût requis m’ont écartée de cet établissement.

Et puis, j’ai cherché un club d’études du français près de chez moi. Il y en avait deux, mais là, le français n’était considéré que comme un passe-temps.

Finalement, je me suis décidée à étudier toute seule. J’ai acheté régulièrement des journaux et des revues en français. En plus, Internet m’a offert des occasions d’écouter le français vivant et de connaître l’actualité de la société française.

4 ans se sont écoulés. Je me suis lassée d’étudier toute seule. J’ai passé un examen de DAPF dans le but de me lier avec la communauté des francophiles. Mon succès à l’examen du « 1 kyu (NIVEAU 1) » m’a étonnée et encouragée à continuer mon chemin.

Une autre surprise a suivi. Les membres du club que j’avais renoncé à fréquenter m’ont demandé d’enseigner le français, dès qu’elles ont connu mon acquisition du diplôme « 1 kyu (NIVEAU 1) ». Ellles voulaient organiser un autre club pour satisfaire leur appétit de savoir intarissable. Elles étaient dans la soixantaine. Elles ne pouvaient plus aller à l’Institut franco-japonais ni mettre en valeur des sites Internet pour raison d’âge et de santé. Elles vivaient humblement dans la communauté locale.

Je me suis demandé : « Le français, est-ce que c’est la langue exclusivement pour les jeunes salariés intellectuels? Pour ceux qui habitent dans les grandes villes et qui ont accès aux occasions d’études? »« Non! »
J’ai créé un nouveau club du français. Je travaille pour « le français pour tous ». Je suis honorée de contribuer à la promotion de cette langue dans ma petite ville.

* 2012年度成績優秀者表彰式当日に実施されたエールフランス特別賞選考会のために提出されたエッセイを、ご本人の許可を得て転載させていただきました。