フランス語に救われた旅
2015年度秋季4級合格
E.I.
(会社員・東京都)
30年の長きに渡り、下手の横好きながらもドイツ語とは相性良く付き合って来ました。合唱音楽好きが高じ、現地で活躍する演奏家たちと交流する手段として独学で勉強し始めたドイツ語は、今では我流ではあれど、日常会話ではさほど苦にならないレベルとなりました。
そんなドイツ語一辺倒のわたしですが、過去にたった一度、フランス語を勉強してみようと思ったことがあります。20年前にフランスの合唱団が来日した時です。テキストや辞書を買い込んで、よしやるぞ、とページを繰った瞬間、早くもわたしの決心はあえなく崩れ去りました。書かれた文字を全て音にするドイツ語と違いすぎる。何があろうと定動詞は文の2番目に置かなくてはならないドイツ語と違いすぎる…等々。すべてがすべて、ドイツ語とは対極に位置する言語、それがフランス語だったのです。
それから19年、わたしの歴史とフランス語とが交差することはなく、これからもフランス語とは無縁だろうなと思っていた矢先のことでした。昨年(2015年)5月、公私ともに橋梁設計に高いウェイトを置く主人が言い出したのです。「長年憧れていたフランスのミヨー高架橋を生で見たい。来年(2016年)のGWに行こう!」と。
物理や数学においては優れた思考成果を発揮する彼の脳は、残念ながら言語分野においては記憶蓄積回路を持たず、ゆえに海外では常にわたしが現地の言語を担当してきました。しかし今回はフランス。過去に数回訪れた首都パリですら英語でのコミュニケーションが難しい かの国において、南仏ラングドック=ルシヨン地方の田舎(失礼!)で英語が通用しないことは容易に推測されます。実際に現地に行かれた方々のブログ等を拝読すると、やはりホテルですら英語が通じず、ジェスチャーで意思疎通を図った、という内容が多く見られました。
ついに重たい腰を上げる時が来ました。フランス語と向き合うことを決心したのです。20年前のようなゆるい気持ちではなく、本気で。上手くフランス語を吸収し、自分のものにするにはどうしたらよいか?そう考えた時に浮かんだのが「仏検受験」でした。
旅行用フランス語会話集を買ってみても、文法が理解できていない限り、それを応用することもできなければスムーズな暗記もできません。というわけで、11月の仏検で5級にトライすることを決意したわたしでした。
参考書と仏検公式ガイドブックを並行して進めていくうちに、自分の中の「フランス語アレルギー反応」が徐々に緩和されてゆく心地よさを覚えるようになりました。これは自分でも意外でした。ドイツ語との違いが出てくる都度「面白い!フランス語ではこうなのか!」という新鮮な感動が湧き出てきたのも驚きです。かくして、欲張りなわたしは出願の際には4級にも手を出し、11月の試験を迎えました。
ダブル受験の結果は周囲も沸かせた「両方とも満点」。これで完全に自信が付いたわたしは、5月までは旅行会話集丸暗記に没頭しました。暗記とはいっても表面的にそのまま文字列を覚えるのではなく、文法を理解しながら「どうしてこのシーンではこの単語が使われて、この助動詞がこのように変化するのか」等々、都度納得しながらの暗記です。
そして今年のGW到来。南仏モンペリエ、その名も「Méditerranée空港」に降り立ち、そこからはレンタカーです。早速空港のレンタカー事務所でフランス語を使う場面が。
「既に車を予約して、支払いも済ませている○○です」
「免許証を見せて下さい」
言えた!聞き取れた!この「通じた」感動は何年ぶりでしょうか。続くミヨーでも、宿泊地として選んだニームでも、どんどん自分の口をついて出てくるフランス語が自分たちの旅を導いてくれます。
スリリングなアクシデントは旅に付き物ですが、今回一番心臓が凍った出来事をひとつ。
5月5日(木)が今年はフランスでも祝日に当たることを知らなかった我々が予約していたのは、祝日はフロントクローズが18:00という格安アパートホテルでした。しかし到着したのが19:00。平日なら21:00までフロントが開いているので余裕でホテルに入ろうとしたら、まずドアが施錠されていて開かない。中に居たフランス人宿泊客が気づいてドアを開けてくれるも「…today… closed… tomorrow… again !… today… is… 」とたどたどしい英語で言われ、完全に意気消沈モードです。でもその宿泊客が「today… is… 」の後につなげたい言葉が気になります。そこで、もしかして…と思いながら「Fête ?」と発すると、彼女の表情が変わり、「Oui, oui !」とフランス語で何故今日はもうフロントが閉まっているのかを説明してくれます。「明日またいらっしゃい」と気の毒そうな顔で言われたその時、わたしが諦念も込めて「予約していて支払いも終えているんです…。」とため息をつくと、彼女の顔がぱっと輝き、「予約している?それなら、鍵の入った封筒がポストに入っているはず」とロビーに設置されているポストを教えてくれました。中を覗くと、自分たちの名字と部屋番号が書かれ、鍵の入った封筒がありました…。先ほどとは違う大きなため息が体を脱力させます。
もしもこのときフランス語がまったくできなかったら、1泊分の宿代を捨て、近くのホテルに空き部屋がないか、半泣き状態で尋ねに行っていたことでしょう。語学は身を助く。このときほどこれを実感したことはありません。目は口ほどにものを言う、ですとか、以心伝心ですとか、そういった格言は多々あれど、やはり実際生きていく上で必要になるのは「言葉」です。
主人は「眼前に屹立するミヨー高架橋」にいたく感激しておりましたが、わたしは「言語のなせる業の大きさと重さ」にあらためて感じ入った次第です。もちろん実際のミヨー高架橋は、極めて人工的であるはずなのに、周りの自然と見事な調和を成し遂げていて、その美しさと壮大さは生で見てこそ、の価値がありました。
ここまでお世話になったフランス語ですから、今後もお付き合いを続けていきたいと願っている今の自分は、1年前「GWの旅行が終わったら、フランス語とはまた無縁の生活に戻ろう」と、いやいや参考書を手に取った自分には想像できなかった姿です。
ドイツ語もそうですが、言語に触れてゆくと世界がどんどん広がります。横(相手との会話)にも縦(自分を内観)にも広がります。フランス語と出会えて、その広がりを更に増やすことができ、本当に良かったです。次回フランスを訪れた際には今回よりも多くの語彙や言い回しを使えるよう、日々楽しみながら亀の歩みを続けていきたいと思います。