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にほんご+英語+α=フランス語習得

稲垣直樹(京都大学教授)

どうも、昔から、フランス語を学ぶとなると、何から何まで新しいことを勉強しなければならない、と身構えてしまう学生さんが多いようだ。だが、それは大きな間違いである。すでにみなさんは母語である日本語がよく出来て、日本語会話などは得意中の得意。それに、少なくとも中学・高校の6年間はみっちり英語を勉強していて、英語についても腕に覚えがあるはずだ。だから、これらにプラス・アルファの努力を加えさえすれば、フランス語のマスターは楽勝そのもの。日本語+英語+α=フランス語習得。フランス語は学びはじめさえすれば、もう「勝ったようなもの」である。そういうことをお話ししたい。

フランス語を勉強するのに、なぜ、みなさんは未体験の、まったく新しいことを始めるみたいに思うのか? それはそう思いこまされているからである。この原因は実は大変根深いところにある。

そもそも日本が西欧の学問を国を挙げて導入したのは言うまでもなく、明治時代からであった。その19世紀後半には、もうすでに西欧の学問は、それまでの総合的なものから、専門分化が甚だしく進んだ状態に至っていた。フランス語でも英語でも「学問」を意味する言葉はscienceだが、この語源はラテン語scientiaで、動詞scire(「知る」)から来ている。ということは元来「知」を意味していた。ところが、すでに専門分化が進んだ段階の西欧の「学問」を日本は導入したので、scienceの訳語として「科学」を当てた。この「科学」の「科」とは、分類あるいは分類されたものという意味である。つまり、専門分化そのものを表す「科」の「学」が、もともと全体性を指向し、諸学問の有機的なつながりを前提としたscienceに替わって、日本では学問のあり方となったのである。

いざ日本が西欧の学問を採りいれようとしたときに、西欧の学問が専門分化していたことはむしろ僥倖と言わざるをえない。専門分化を遂げて、各学問分野が独立し、自己完結的な、いわばパッケージになっていたからこそ、他と切り離して、ある一つの学問領域を移入することができたのである。このパッケージ化された個別科学の移入は、日本人の西欧諸国への留学と御雇外国人の招聘という二つの方法で実に有効に行われた。

平安朝の「和魂漢才」から、近いところでは、佐久間象山の「東洋道徳、西洋芸術」(ここで言う「芸術」は今日で言う「技術」にほぼ当たる)を経て、明治時代に重要な学問移入の理念とされたのが「和魂洋才」である。魂あるいは精神的な本質は「日本古来のもの」が優れているから、それを墨守し、科学技術を代表とする技術のみ、西欧から採りいれるという考え方である。当然ながら、これは殖産興業、富国強兵という当時の国家的要請に応えるものであったが、このように技術だけを西欧から採りいれることができたのも、西欧の学問の専門分化、パッケージ化があったればこそというのは前述のとおりである。

1877年に東京大学(1886年に帝国大学、1897年に東京帝国大学と改称)が創設され、1897年に京都帝国大学が創設されたのが日本における大学の始まりであるが、大学の基本構造を決定したのもまた、このような学問移入の縦割りであった。創設当初、東京大学は法・理・文・医(および予備門)、京都大学は法・理・工・文・医という諸部門に分かれていた。1919年の大学令によって、これが学部に衣替えした。今で言うところの法学部、理学部、工学部、文学部、医学部であり、これらに経済学部を始めとするいくつかの学部が付け加えられるが、大学の縦割り学部組織は基本的には今でも、なんと明治大正のままである。

学問の移入自体がこのような有様であったから、どの外国から学ぶかについても縦割りの発想で、その分野の先進国に限定して学んだ。そのため、留学生ひいては学生は一つの外国語に精通することに努力を傾注した。文学者を例に取れば、坪内逍遥、夏目漱石、芥川龍之介は英語、森鴎外はドイツ語、二葉亭四迷はロシア語、長田秋濤、小林秀雄はフランス語と相場が決まっていた。

大学予備門が発展して、1894年の高等学校令により、高等学校が出来るが、この、いわゆる旧制高等学校(現在の大学教育の前半にほぼ当たる)でも、新入生のクラス分けはどの外国語を学ぶかによって行われ、一つの外国語を極めることが学生たちの目標とされた。第二次大戦後、アメリカの占領のもと、にわかに英語教育が重視されるようになった。そんななかでも、外国語教育の縦割りは存続し、現在でも、新入生のクラス分けも多くの大学で、英語以外にどの外国語を学ぶかによって行われている。

「降る雪や明治は遠くなりにけり」の反対である。いまだに私たちは明治の呪縛のなかにいる。「外国語はスキルである」などと、いかにも斬新そうに、外国語道具論を声高に唱える「教育者」が最近目立つが、なんのことはない、そのルーツが明治の「和魂洋才」にあることは、この文章をお読みの方にはお分かりだろう。

……というわけで、明治の亡霊のおかげで現在でも、新入生諸君はかわいそうな目に遭っている。「ぼくのような者にも、フランス語は身につくのでしょうか?」と自信なげに言ってくる(なぜか、男子)学生が実に多い。大学に入って、新しい外国語を勉強する際に、「いままで学んだ外国語とまったく違うぞ! 手強いぞ!」という印象を受けるようになっているのだ。教師の側も不安な学生諸君に「フランス語にチャレンジしましょう!」などと大袈裟なことを言ったりする。それがいけない。英語以外の外国語、とりわけ、フランス語を学ぶことはチャレンジでも何でもなくて、いままでに学んだ、主として英語の知識を使えば、それほど難しくはないのである。

フランス語と英語は実はとてもよく似ている。このことを忘れてはならない。歴史的に見ると、ご存じのように、11世紀に、フランスのノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服する、いわゆるノルマン・コンクエストが起こる。その後、数百年間、イングランドではノルマン・フレンチが公用語となり、また、ラテン語等からの借用も盛んで、フランス語を始めとするロマンス語からの英語の借用はその語彙のなんと約50%に及んでいるという。単純な計算をすれば、もう英語で半分は語彙の勉強は終わっているようなものである。それから、さらに構文の面でも、S+VとかS+V+CとかS+V+Oとか英語で習った構文がそのままフランス語でも使える。英語とフランス語とでは基本構文が同じである。これ以外の多くの点でフランス語は英語に近いのだから、英語との類似点と相違点を常に意識し、英語の知識を最大限に活かせば、実に容易にフランス語が身につく。

英語以上に重要な、フランス語学習の基礎がある。それは母語の修得である。どのような国語であっても、きわめて精緻な体系を持っており、それを学び、それを使って筋道立った思考が出来るということが、頭脳の発達にとって必須であることは言うまでもない。私たちの多くは日本語を小さい頃から勉強している。そして、日本語に堪能であり、日本語ではかなり深い、かなり高度な思考を展開し、表現できるようになっている。だから、まずもって、日本語を勉強したということが最大の基礎なのである。

英語以上に重要な、フランス語学習の基礎がある。それは母語の修得である。どのような国語であっても、きわめて精緻な体系を持っており、それを学び、それを使って筋道立った思考が出来るということが、頭脳の発達にとって必須であることは言うまでもない。私たちの多くは日本語を小さい頃から勉強している。そして、日本語に堪能であり、日本語ではかなり深い、かなり高度な思考を展開し、表現できるようになっている。だから、まずもって、日本語を勉強したということが最大の基礎なのである。

このように日本語や英語との共通部分を強調すると、「そんなに似ているなら、フランス語を勉強する必要がないのではないか?」と思われるかもしれない。だが、共通でない、残りの部分こそがフランス語を学ぶ意味であり、醍醐味である。フランス18世紀の碩学、リヴァロルの有名な言葉にCe qui n’est pas clair n’est pas français.(「明晰でないものはフランス語ではない。」)があるが、フランス語は日本語あるいは英語にも増して、厳密で、明晰な国語なのである。個人的な経験を例として持ちだせば、日本語で漠然と考えていることをフランス語で文章にしようとすると、それを論理的に突き詰めて考え直し、精密に組み立て直すことをしなければならず、大変な頭のトレーニングになる。

日本語とか英語の基礎を活用すれば、学ぶのにそれほど労力がいらないが、それをマスターした暁には、新しい思考の体系、新しい思考のいわばチャンネルを獲得することになる。――こんなうまい話には乗らない手はないのではないだろうか。