砂漠にて
2013年春季3級合格
沖田 翔
学生(筑波大学)・茨城県
大学の3年生になるまで、つまりは去年の春の時点まで、私はフランス語を学習したことがありませんでした。フランス語を学習し始めて10ヵ月と少し、一言で言ってしまえば私はまだまだ学習を始めてから日の浅い、フランス語初心者ということになります。大学1年生からならまだしも、なぜそんな中途半端な時期にフランス語を始めようと思ったのか、当然疑問に思われることでしょう。もちろん始めるきっかけとなった出来事がいくつかあったのですが、今回はその中の一つであるサハラマラソンについて、触れてみたいと思います。
「サハラマラソン」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?フランス語での正式名称はMarathon des sables で、文字通りサハラ砂漠を舞台にして行われるマラソンレースです。フランスが主催している国際大会であり、レースの特徴としては
1) 一週間をかけて250キロを走破する耐久レースであること
2) レースの間の食事や寝袋などは自給自足。つまり一週間分の食料や水、寝袋などを全て背負い全行程を走り抜けるレースであること
等が挙げられます。サハラ砂漠は日中は50度、朝方は10度前後と気温の差が激しく、重い荷物だけでなくこの気温差もレースを過酷なものとしています。私は一昨年の4月に、このレースの第27回大会に参加しました。「精神的な鍛錬がしたかった」というのがその動機です。20歳になった自分への、いわば通過儀礼のような意味合いもありました。
とはいうものの、走ってみるとやはりレースは過酷で、一日目から脱水症状に陥ってしまいました。暑さで内臓がやられ、体内の水分も尽きて汗すらかけず、いくら水を飲んでも、いくら塩のタブレットを飲んでも頭痛と吐き気が止まりませんでした。しかしそんな時、一人のランナーが私に声をかけてくれたのです。その人は初老の、紳士然とした男性で、ゼッケンの国籍欄にはFRANCEの文字がありました。声をかけてくれたといっても、その時の私には彼の話すフランス語が理解できなかったのですが、彼はどうやら「水を飲め、一緒に走ろう。」と言っているようでした。彼に励まされ、私は再び走りだすことができました。そうして結局、彼はその日のゴールまで私のことを気遣いながら併走してくれたのです。道中、初めてのフランス語に触れた私はなんとか片言の英語で彼との会話を試みたのですが、あまり上手くいきませんでした。その時、フランス語の簡単な挨拶だけでも勉強しておけばよかったと激しく後悔したのですが、ただ、彼の方は終始鼻歌を歌っていて、そんなことはちっとも気にしていないようでした。サハラマラソンのランナー達は、どこか通じるものがあります。日本から参加していたメンバーとは話が合い、直ぐに仲良くなれました。ならば、あの陽気なフランスの男性とも、もしも私があの時彼が話す言葉を話せていれば、何事かを語りえたはずです。そしてそのように考えると、せっかくのかけがえのない、大切な機会を取り逃してしまったように感じたのでした。
レースが終わり、日本に戻った後も、その時の出来事がいつまでも心に引っ掛かり続けていました。そうして私は、思い切って独学でフランス語の学習を始めることにしたのです。そして今まで、フランス語を短い期間ながらも学習してきた現在になって思うことは、語学を始めるのに「遅い」ということはないということです。私は、物事の「縁」というものを信じています。なにかに強く心惹かれるのなら、それは必然的な文脈の上でそうなっているのだと感じますし、そしてそういった「縁」を感じて何かに夢中になるタイミングというものは、「遅い」とか「早い」とかといった言葉でくくることはできないようにも思うのです。それはあたかも、人間の意図というものとは無関係に、向こうの方からある時突然やってくるかのようです。あの砂漠のレースでの出会いに「縁」を感じた私は、フランス語の世界にどんどん夢中になっていきました。そうして情熱を持って学習していくにつれて、見える世界がどんどん変わっていくのを実感していったのです。例えば、街中には思いがけないほど多くのお店がフランス語の店名を掲げています。聞き覚えのある数々の曲が、実はフランスの歌手が歌うシャンソンであることに気付いた時は、驚きもしました。そして理性的な言語によって紡がれる、フランス哲学の精緻な論理の美しさには目もくらむほどです。フランス語を学び始めて出会った多くの本や音楽、フランスに特有の「理性」の精神は、間違いなく私の生活を豊かにしてくれました。私は、思い切ってフランス語の世界に飛び込んで、本当に良かったと断言できます。そして、それは例え私が50歳からフランス語を始めようが、70歳から始めようが同じように満足したとも思うのです。それは、「知る喜び」というものはそれを求める人間の年齢に関係なく、誰の前にも開かれているということを常々感じるからです。
私はこれからも、あの時砂漠で得た「縁」を胸に、日々「知る喜び」を噛みしめながらフランス語の学習に取り組んでいきたいと考えています。そして、走り続けて、サハラマラソンのようなレースに参加し続けることで、いつかあの時の陽気なランナーに再会することが出来たなら、その時は彼と走ることについてゆっくりと語りあってみたい。そう、強く願っています。