第5回 やはり一般教養(上級そしてすべての人用)
東京工業大学名誉教授 中山 眞彦
Des gènes récessifs, このフランス語、知っていますか? 医学や生物学をやっている人は別として、なかなかすぐには答えが出ないのではないでしょうか。
しかし次の文章を読めば、ああ、あのことか、と思い当たるはずです。2008年春季仏検の1級の問題文の一部です。
(…) la fréquence des blonds va mécaniquement diminuer. Et cela d’autant plus que cette teinte de cheveux, comme les yeux bleus, est due à des gènes récessifs. Autrement dit, pour être blond, il faut hériter de deux gènes commandant ce caractère, l’un venu du père, l’autre de la mère.
(金髪の〔出生の〕頻度は機械的に減少してゆく。この髪の色が、青い眼と同様、des gènes récessifsによるからである。言い換えれば、金髪であるためには、この髪の色のgènesを二つ、父親から一つ、母親から一つ、引き継がなければならない。)
いわゆるメンデルの法則ですね。エンドウ豆の交配。生物の授業で習いました。これに思い当たると、des gènes récessifsそのものの日本語訳はもう必ずしも必要ではない。「筆者は生まれつきブロンドの人の数が今後減少するメカニズムをどのように説明していますか」という問いに日本語で答えます。解答例には「劣性遺伝に基づく…」の文言がありますが、「劣性遺伝」という学術風の日本語がとっさに思い浮かばなくても、十分な解答をすることができます。
しかし逆に、メンデルが発見したとされる遺伝の法則に思い当たらないと、まったく見当違いの答案を書いてしまうおそれがあります。ここが決め手でしょうね。
同じ問題(1級の筆記8番)に「筆者の言う《paradoxe》とは何を意味するかを説明してください」の問いがあり、これに該当する問題文は次です。
Mais on assiste aussi à un《paradoxe》: dans les prochaines décennies, la proportion de blond naturel va aller en s’amenuisant, et, pourtant, le mythe pourrait bien grandir.
(しかしやはり一つの《paradoxe》が見られる。来る数十年で、自然の金髪の割合はどんどん小さくなってゆく。ところが、〔金髪の〕神話は増大し得るのだ。)
簡単な辞書には「パラドックス、逆説」などとありますが、これでピンと来ますか? フランス語で考えると、《para、逆の -doxe、〔世間一般の〕意見》、つまり普通に考えられているのと反対のこと、の意味になります。したがって上の文には相反する二つのことが含まれているはずで、それが、〔A〕et, pourtant〔B〕の構文になっています。〔A: 自然の金髪が少なくなる〕がdoxe、すなわち普通に考えられること、〔B: 金髪神話が勢いを増す〕がdoxeに対するpara、すなわち通念に逆行することですね。
決め手は〔A〕と〔B〕を対立関係として捉えること。答案はこれをはっきりさせないと完全ではありません。もし、〔A〕を言い換えると〔B〕になる、という風に考えてしまったら、もうそれだけで点を取りにくくなります。
Paradoxeは古代ギリシャ以来のヨーロッパの思考法の一つの重要な柱です。バカロレア(大学入学資格試験)にかならず「哲学」が課せられるフランス人には常識の内です。フランス語はフランス文化と不可分である。などといまさら述べ立てるまでもありませんが、当たり前のこともやはり勉強しないと本当に当たり前にはならないのですね。
やはり1級筆記8番からもう一つ。「『ブロンド神話』に関する筆者の意見を要約してください」の問いがあり、答案の材料として次などあります。
Vénus -Aphrodite, déesse de l’amour à la chevelure claire (ヴィーナス -アフロディテ、明るい色〔金髪のこと〕の愛の女神)
un signal d’invite sexuelle dans les années 1950 (1950年代の性的アッピールの印)
これらはOKでしょう。では、次はいかがですか?
une idéologie dans les années 1930 (avec le racisme hitlérien) (1930年代のある思想《ヒットラーの人種差別に伴う》)
ナチスによるユダヤ人大虐殺〔ホロコースト〕はもちろん知っていますね。その裏返しが、「アーリア人種」〔ヨーロッパ民族全般の祖先であると想定された人種。学問的根拠はないとされる〕の優越性の思想でした。白い肌、青い目、そして金髪をイメージしたのでしょう。おぞましく、恐ろしいことです。
さて以上を踏まえてあなたは、たとえば「筆者はブロンドを美の象徴だと考えている」という答案を、どう採点しますか?