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最後の灯台を背に

2018年春季1級合格・在日フランス大使館賞
志村 響
フランス語教師・東京都

20181101hs_01pol 仏検との出会いは2012年の秋、僕が大学一年生の時でした。ふとしたきっかけで翌年春にフランスでの短期滞在が決まり、大学で履修していたドイツ語の傍ら、独学でフランス語の勉強をスタートしました。

始めたばかりの頃はひとり寄る辺なく、先生もクラスメイトもいなかったので、自分のフランス語がどの程度なのか、いくら勉強しても計りかねていました。何か目印になるものが欲しかった。そんな自然な流れで、仏検を受けることに決めたんだと思います。最初に受けたのは4級。無事、合格でした。

そして2013年3月、二週間ほどフランスに渡りました。海外に行くのもこれがはじめて。何かが開けるような感覚があったものの、当たり前のように、半年独学で勉強しただけのフランス語などほとんど何の役にも立ちませんでした。でも、参考書で見たことのある単語や耳にしたことのある表現に出会う度、それを使いこなせるとは言えないまでも、フランス語にじかに触れる嬉しさがあったことも見逃しませんでした。

「なんだか自分の言葉にできそうな気がする」

あえて言語化するならこんな頼りない直観だけで、僕はフランスへの語学留学を決心しました。出発は同年秋。それまでにできることをやろうと、今度は仏検準2級を受けることにしました。出国前に文法の勉強をしっかりやっていたことは、今振り返ってもよい選択だったと思います。準2級も合格でした。

20181101hs_02それからの一年をフランス、ブルターニュ地方にあるレンヌという街で過ごし、2014年の夏に帰国しました。この一年間、フランス語のことしか考えていなかったように思います。おかげで帰るころにはそこそこ話せるようになっていました。

20181101hs_03 しかし、せっかく「自分の言葉」になりかけていたフランス語も、8月の日本の猛烈な湿気とともに押し寄せた日本語の波に洗い流されそうになりました。なんとかこれを守らなくては…。その時も、仏検が僕の灯台になってくれました。あれを目指して進めばいいんだ。帰国後間もなく秋の準1級を受け、合格。フランス語は逃げませんでした。

残すは1級です。正直、ここまで来るともう「仏検はいいかな?」という気分でした。より“実用的”とも言われるDELF/DALFのC2を先に取り、仏検の存在もやや霞んでしまっていました。ただ、この時、僕はもうただの学習者ではありませんでした。フランス語を学ぶだけでなく、教える立場にあったのです。

僕は教師として、フランス語を勉強している人に「試験は、受けなくてもいいなら受けなくていい」と伝えています。それはもちろん、試験だけを目標にしてほしくないからです。ことばの深さは灯台ではなく、海の方にあります。試験に受かることはもちろん素晴らしいことですが、それだけが語学のゴールになるのは少し寂しい…。

とはいえ僕自身、それまでの道のりを、仏検の合格証書がもたらしてくれた達成感と安心感、そして誇りに支えられながら歩んできたのです。それに当時の僕にとっても、仏検1級の灯台はやはり大きく壮麗で、とても目立っていました。教師として、学習者として、立ち往生しているくらいなら行ってみよう。そう思い去年、受験を決めました。

そして2018年春、いよいよ1級を取り、フランス語の資格試験という意味では(通訳案内士などを別にすれば)目標になるものはなくなりました。もう、僕の視界に灯台はありません。けれどある意味では、ここがスタートとも言えます。灯台はそこに辿り着くためではなく、海を照らし、海を渡るためにあるのです。これからも、僕の航海は続くでしょう。

初めてのフランス滞在、最終日に見た空