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三度目の正直

2011年春季1級合格
藤原 麻衣
会社員(コニカミノルタビジネステクノロジーズ株式会社)・千葉県


 私のフランス語との出会いは私が8歳の時でした。父の仕事のために引っ越したのがきっかけです。最初はパリ日本人学校に入りましたが、1年半後、弟の現地の小学校入学を機に、私自身も現地校に転入しました。

 仏検は、パリ日本人学校から現地校に転校してしばらく経ってから受け始めました。フランス語ができても、日本語の設問内容が分からないと問題が解けないため、仏検は私にとってフランス語ばかりでなく、日本語の鍛錬にもなりました。2級は99年に受かりましたが、1級は2011年になってようやく受かりました。実に12年越し、3回受験してやっと受かりました。

 1度目は中学卒業後、ミラノに引っ越していましたが、フランスまで受験しに行きました。その前の年に受けた友達は受かりましたが、私は落ちました。合格点まで20点近く及ばず、語彙力と理解力の不足をまざまざと感じさせられたのを覚えています。

 ミラノで過ごした高校時代はイタリア語に集中し、イタリア語検定を受験したりしていました。イタリア語検定2級に受かったのもこの頃です。フランス語とラテン語の知識が大いに役立ちました。学校でフランス語を続けてはいたものの、第2外国語としての授業は私のフランス語力を維持するには足りませんでした。フランス語の低下を自分でも実感していた私は、大学進学をフランスに定め、大学受験を決意しました。

 1年間のイギリス交換留学を除く大学の3年間、フランス語で学び、生活し、企業インターンも経て、自身のフランス語力は確実に上がったと感じていました。だからこそ、帰国後就職してから2010年に2度目の受験を決意しました。春しか受験できない1級、帰国から10ヶ月あまりが経ってしまっていましたが、何とかなるだろうと思っていました。

 結果は不合格。

 それも、今度はたったの6点差。とても口惜しかったのと、自身の驕りを悔やみました。

 日本の企業に就職し、2年目。日本語と英語は使っても、フランス語は一切使わない日々が続く中、私は焦りました。帰国から時間が経てば経つほど受からなくなる、そう確信して3度目の受験を翌年の2011年にしました。

 三度目の正直、とも言いますが2度あることは3度ある、とも言います。見直すと目に付くのはミスばかりで、正直3回目の試験結果はとても緊張しました。合格の知らせは本当に嬉しかったです。

 今の会社なら、いつかフランスに行くチャンスも来るかもしれないので、これからもフランス語はしっかり維持していきたいと思います。